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地域づくり全国交流会議プレゼンテーション

牛が紡いだ地域づくり ‐ 楽しみの追求から社会的意義へ

 去る2008年10月23日、富山県高岡市で開催された「地域づくり全国交流会議」において「地域づくり表彰」の最終審査会が行 われました。私ども小千谷闘牛振興協議会は、全国70団体ものエントリーの中から最終審査候補8団体に残り、当日プレゼンテーション審査の結果として「全 国地域づくり推進協議会長賞」と「審査員特別賞」を受賞いたしました。
 折りしも、審査会当日は新潟県中越地震の発生からちょうど4年目という節目の日。様々な感情や記憶が詰まったこの日に、このような賞をいただいたこと に、何とも言いがたい不思議 なめぐり合わせを感じております。また、昨年は協議会発足から30周年という節目の年でもありました。「楽しい」という単純な動機から始まった私どもの活 動が、30年の紆余曲折を経て「地域づくり」という普遍的な側面か ら評価されたことに、自らのこととはいえ、協議会一同大変驚いております。
 私どもがこうした栄誉に預かれたのも、これまで角突きを守り育ててきた二十村郷の先達の方々はもちろん、私たちの活動を温かく見守ってくださった皆様 あってのことです。これまで角突きに関わってくださった皆様に感謝申し上げます。そして、今後とも私たちの活動にご 理解いただき、ご支援を賜りますよう、お願い申し上げます。
 ここに当日プレゼンテーションの発表資料を公開いたしますので、どうぞご笑覧ください。また、当日のパンフレットに掲載された資料(PDF形式)も公開しますので、こ ちらも併せてお読みいただけれ ば幸いです(下記に公開される発表資料は、プレゼンテーション持ち時間の関係上、当日の資料から削らざるを得なかった 箇所を再編集したオリジナル・バージョンです。よって、当日のプレゼンテーションとは若干異なる箇所がありますが、どうかご容赦ください)。


 小千谷闘牛振興協議会の平澤健光と申します。よろしくお願いいたします。

 小千谷市は新潟県のほぼ中央に位置する人口約4万の小都市です。コンパクトな市域、農商工のバランスが取れた経済構造、重厚な文化的遺産、そして豊かな自然環境から、県下でも屈指の住みよいまちとして知られています。

 小千谷市は信濃川と三国街道が交錯する交通の要所として発達しました。その歴史を背景として、小千谷縮、越後三大花火のひとつである四尺玉の片貝の花火、数々の歴史的建造物などの多様な文化が現在もなお息づいています。今回ご紹介する「牛の角突き」もそうした小千谷市を構成する多様な文化のうちの一つです。

 私たち小千谷闘牛振興協議会が活動基盤を置く東山地区は、市中心部から東へ10kmほどの山間地に位置しています。か つての東山は隣接する旧山古志村とともに「二十村郷」と総称されていました。

 二十村郷は「泳ぐ宝石」と呼ばれる錦鯉の原産地として知られ、現在でも世界の錦鯉産業を支える一大養殖地帯です。写真のような山肌に広がる無数の養鯉池は東山の象徴的な景観であり、そこに泳ぐ美しい錦鯉は小千谷経済の一端を担う存在です。

 一方、市街地からそう遠くはないにもかかわらず、東山の生活環境はそれと大きく異なります。豪雪に代表される厳しい自然環境と、これを遠因とする脆弱な社会環境などの地域的課題は国内の中山間地域の典型に漏れません。
 そして、こうした課題を改めて噴出させたのが、東山を震源の一つとする2004年10月の新潟県中越地震でした。東山の戸数が震災前の309戸から167戸に半減している事実は、この地に住む厳しさを暗に伝えるものかもしれません。

 こうした決して穏やかではない東山の生活にあって、今日まで住民たちの賑わいの場として伝承されてきたのが「牛の角突き」です。
 牛の角突きは2頭の牡牛同士を闘わせる闘牛の一種です。二十村郷の神事または娯楽として、少なくとも近世後期以来の歴史を持ち、現在では東山と旧山古志村の2ヶ所に伝承されています。国内では闘牛の行われる地域が数箇所ありますが、なかでも角突きの特徴は勝負付けをせずに「引分け」とする点にあります。

 引分けは、両牛の対戦が最高潮の時を見計らい、勢子と呼ばれる男達が牛の間に入り、素手で両牛を制止することによって行われます。「牛対牛」から「牛対人」へと鮮やかに転回するところに、角突きの特徴があるといえるかもしれません。
 引分けにする理由は、角突きが神事を起源の一つとすることもありますが、それ以上に、家族の一員として育てられてきた牛を長く大切に育てたい、という先人の知恵によるものでしょう。事実、角突きで用いられる牛の寿命は長く、20歳近くまで育てられる牛も少なくありません。

 続いて、私たち小千谷闘牛振興協議会の活動経緯を簡単に振り返ります。

 私たちの活動の発端は昭和40年代初頭の角突きの途絶にあります。当時は高度経済成長の真っ只中。国内の中山間地域の例に漏れず、東山でも生業の変化、特に角突きの基盤となっていた牛畜の衰退、そして人口の激減などの劇的な変化が発生していました。これらの影響により角突きは昭和30年代中頃から衰退し、昭和40年代初頭には完全に休止していました。

 しかし、昭和40年代末から、二十村郷で角突きの復活が話題となり始めます。そして、東山でも有志の尽力と二十村郷の住民の後押しによって、昭和50年8月、数年ぶりに角突きが復活されました。
 その熱が冷めやらぬ中、角突きを東山に継承していくためには、行政や観光との関わりによる定期開催、そしてこれを支える組織の設立が不可欠との提案がなされ、これを受けて、昭和53年春に協議会が結成されました。また、こうした取り組みが認められ、同年に角突きは国の重要無形民俗文化財の指定を受けています。

 さて、今年で協議会は結成30周年をむかえましたが、今日までの道のりは決して平坦なものではありませんでした。
 特に中越地震の際には、震源直下にあった東山は何もかもが壊滅的状況。全域避難勧告を受けて、全住民が慣れない避難生活に突入、辛うじて生き延びた牛達も避難先を転々としていました。個々の生活再建と地域復興が優先される中、角突きは再び途絶の危機に瀕していたといっても大げさではないかもしれません。

 ともすれば休止に傾きそうであった角突きでしたが、私達を鼓舞してくれたのは、東山住民や小千谷市民はもちろん、全国から寄せられた「小千谷の復興は角突きから」という多くの熱い励ましでした。
 この声に押されながら、翌年6月以降の仮設闘牛場での開催を経て、平成18年6月に本拠地の小栗山闘牛場での復興開催を迎えることができました。このように、結成以来、私たちは様々な困難に直面しながらも、会員達の角突きへ向けられた情熱、そして多方面からの支援のおかげで、休むことなく角突きを続けることができています。

 続いて、現在の活動内容に話を移します。

 私たち協議会の活動は、5月から11月にかけて月1回行われる定期開催が中心です。そして、この定期開催に向けて、牛の飼育、技術・知識の継承、後継者の育成が日常的な活動として行われています。また、これら活動の中で、会員間の熱いコミュニケーションが図られていることは言うまでもありません。
 組織構成は100名弱の会員からなり、その居住地は東山を中心に関東地方にまで広がっています。そして、会員の年齢階層も10代から80代まで幅があり、数世代に渡って協議会に所属する世帯も少なくありません。また、協議会の特徴として組織の若さが挙げられ、その「若さ」を象徴するのが、後継者組織「北斗会」です。

 北斗会は協議会内に結成される角突きの後継者組織です。概ね40歳以下の青年層から組織されており、定期開催時の勢子や次第進行、当日までの準備などの雑務を一手に取り仕切っています。対して、年長者の役割は北斗会のサポート、行政や関係諸団体との協議に重きがおかれ、協議会全体として私達後継者の意向を反映させるような活動が行われています。
 また、彼らの内の多くが養鯉業に従事しており、その意味で、北斗会は経済・文化の両面で東山を少なからず支える存在といっても良いかもしれません。

 牛無くして、角突きはできません。ですから、牛の飼育は定期開催以上に協議会の重要な活動です。2008年現在、協議会に所属する牛は過去最大規模の47頭です。
 損得抜きで牛飼いに夢中になる様は「牛を飼う馬鹿、見る利口」と冗談混じりで言われますが、私達は牛の飼育を通じて多くのことを学びます。その存在にかかわる喜怒哀楽は何ものにも代えられません。例えば、私なんかは牛が草を食む姿にとても「癒し」を感じたりしますが、そうした牛にまつわる感情が私達の日々の生活の活力そのものとなっています。

 後継者の育成も協議会の活動のひとつです。協議会では平成15年から東山小学校の協力の下、全国唯一の学校飼育動物として、闘牛「牛太郎」を飼育しています。
 小学生たちは牛太郎とのふれあいや飼育を通じて、角突きに興味を持ってくれているようです。また、角突きは小学生の郷土教育の格好の題材でもあります。その成果として、小学生による角突きのハンドブック「牛の角突き丸わかり」が作成されています。彼らの中から未来の角突きの後継者が出てくれることを願ってやみません。

 次に、こうした私達のこれまでの活動がどのような意義を持ち、どのような成果を生んできたかについて考えてみます。

 協議会の結成以来30年。私達はどうにか角突きを途絶させること無く活動を続けてきました。震災以降、このような場所で話す機会を幾つか頂きましたが、その度にいつも「なぜ角突きは続けられてきたのか」と考えさせられます。
 思うに、角突きが今日まで続けられてきたのは、何かしらの明確な意義や成果ありきでは無く、単純に角突きが「楽しい」ためではないでしょうか。牛の成長に心を躍らせ、牛の熱戦に我を忘れ、そして、家族や友人と牛について語り明かす…こうした角突きにまつわる「楽しみ」が私達に角突きを続けさせる原動力となってきたのでしょう。これは今も昔も変わらないと思います。

 ただし、これまで私たちが角突きを続けてこられたのも、東山内外の様々な団体や人々との「つながり」や「支え」があってのことです。角突きは実に多くの人々との「つながり」の中で生かされています。
 私達は角突きを楽しみながらも、伝統文化の伝承・観光資源の維持管理・地域振興など私達の活動に向けられた様々な期待を日々感じていますし、それを忘れたことはありません。そして、私達の「楽しみ」の追求は、そうした意義や成果の獲得に少なからず繋がっているものと認識しています。

 例えば、北斗会の青年達は震災後も東山に住み続けていますし、郷里を離れた青年達が角突きしたさに戻ってくる例は後を絶ちません。また、震災などの理由で東山を離れざるを得なかった人々も角突きの度に帰ってきて、互いの近況や世間話に花を咲かせています。
 角突きは東山と人とを、さらに人と人とを結びつけることで、この地に住む豊かさを教えてくれています。震災後、人口が半減した東山にあって、こうした様々な縁や契機を紡ぐ「地域の核」の存在は、何ものにも変えがたいでしょう。これも東山に角突きあってのことです。

 さらに、近年、角突きの観光客数は増加の一途をたどっており、その中には、勢子や牛の飼い主として角突きの担い手となってしまう「元・観光客」が多数出てきました。こうした人的交流や担い手の確保は、型にはまらない都市と農村の交流や伝統文化の伝承のあり方を示しているといえるかもしれません。
 このように、私達の「楽しみ」の追求は、牛を核とする無数の縁が地道に紡がれる過程で、今述べたような数々の成果をもたらし、「地域づくり」といった普遍的な意義の獲得につながっているものと、心の底から実感しています。

 最後に、今後の課題と展望を簡単に述べ、発表を締めさせていただきます。

 私達のこれまでの活動は、「楽しみ」を追求する中で、様々な成果や意義を獲得してきたと自負しています。今後の課題はこの「楽しみ」の後代への継承にあります。東山の子供たちに角突きを引き継いでもらいたいことはもちろんのことではありますが、人口が減少しているため、これからの後継者は東山だけに頼ることは出来ません。
 その意味で、東山以外の人々が観光対象という見方を超えて、角突きに、さらには東山になんらかの「関わり」を持つことができるような「しくみづくり」が必要となってくるでしょう。そうした、しくみから結ばれる縁は、角突きの継続だけではなく、東山の地域づくりに少なからず貢献するものと考えられます。

 これからも角突き、そして牛を通じた様々な縁を大切にし、「私達が楽しい」と感じている角突きを「皆も楽しい」と感じてもらえるような活動を模索しながら、今後も角突きに関わっていきたいと考えています。

 皆様是非、一度小千谷へおいでください。ご清聴ありがとうございました。発表は以上です。


(企画作成:渡邉敬逸・風間幸之・平澤健光 / 編集:渡邉敬逸)

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